高鍋神楽の歴史

高鍋神楽の起源は、いつの時代であったか詳らかではないが、口伝によれば、古くは奈良時代に宮中での御前演奏を行い、過分の褒美を賜ったと伝えられています。その後、江戸時代には、秋月氏が高鍋の地を領するようになると、事ある毎に各神社に神楽を奉納させたことが高鍋藩の記した文献等から窺い知ることが出来ます。高鍋神楽は座舞、居舞が多く、座作進退の舞い様は高尚優美、勇壮活発と称えられ、沿海地方に発達した集落の持つ独特の神楽として現在に受け継がれています。

一番神楽
一番神楽
寿の舞
寿の舞
舞揚
舞揚

文献に見える高鍋神楽

江戸時代に高鍋を所領した秋月氏の藩の記録「高鍋藩本藩実録」によると、江戸時代初期の寛永20年(1643)11月18日に、比木社(木城町鎮座の比木神社)に夜通し神楽を奉納させたことが記録されています。これが文献上に現れる高鍋神楽の最初の記録となっています。この比木神社で執り行われたお祭りを「神事(かみごと・かみごつ)」と言い、現在でも12月の第1土曜日・日曜日になると盛大に神楽が奉納されているのです。

では何故、秋月氏は比木神社に神楽を奉納させる事となったのかを紐解いていきましょう。


「神事」のはじまり

江戸時代の初め頃の事です。秋月氏が高鍋に入封されて間もなくの事でした。
秋月家のお姫様が原因不明の病を患い、床に臥せる日が続いたのです。
そのご様子を心配されたお殿様は、「お姫様の病を早く治すように」と沢山の医師にご命令を下されたのです。しかし、お姫様の病状は一向に回復の兆しが見えず、お殿様は更に深くご心配されたのです。そして、遂にはお殿様や家老職で会議が開かれ、「藩内にお姫様の病を治す者が居いたら名乗り出るように」との布告を発したのです。この状況を聞きつけた高鍋町上江字鴫野の住人の大寺余惣衛門と言う人物が名乗り出て、連日、木城村の比木神社に心を籠めて願掛けのお参りをしたのです。すると不思議なことに、お姫様の病状は快方に向かわれ遂には全快されたのです。この事を大層喜んだお殿様は、直ちに木城村の比木神社にお礼の参拝をされ、神恩感謝の誠を捧げられて終夜神楽を奉納されたのです。これが先述の秋月氏が比木神社に神楽を奉納する事となった経緯なのです。そして、この神楽祭りは「神事」と称して、現在でも比木神社で執り行われているのです。


神事から六社連合大神事へ

江戸時代には、秋月氏が現在の東児湯一体と日向市の美々津町周辺までを高鍋藩の領地として治めていました。その後、幕末・明治を迎えると廃藩置県により政が藩から県に移行したことで、お祭りなどのご料が受けられず「比木神社1社のみで神事を続けることは困難になるのではないか」との話が上がり、旧藩領内の郷社である比木神社(木城町)、八坂神社(高鍋町)、白鬚神社(川南町)、平田神社(川南町)、三納代の八幡神社(新富町)、愛宕神社(高鍋町)の6社が年番で神事を行う神社と定めたのです。これが現在も行われている六社連合大神事の始まりなのです。


近現代の高鍋神楽

明治時代になると廃藩置県により、藩によって行われてきた政が県へと移行し、それまで藩から恩恵を受けてきた神楽も、その恩恵を受けることができず、徐々に衰微の一途を辿る事となるのです。その後、大正時代になると、このあり様を憂いた浦幸次郎を始め有志の人たちが、大正6年1月27日に高鍋神楽保存会を設立したことを契機に、同年4月に明治天皇昭憲皇太后のお鎮まりになられる京都桃山御陵にて神楽を奉納し、その後、伊勢神宮に於いて奉納神楽に栄誉ある参加をしたことで、高鍋神楽の名が広く知られるようになりました。その後、昭和時代になると大東亜戦争により、再び衰微の一途を辿る事となるのです。明治以降、二度にわたる衰退の危機に瀕した高鍋神楽ですが、終戦より数えて10年後の昭和30年に改めて高鍋神楽保存会が結成され、昭和44年4月には先輩方の多年の苦労により、県指定無形文化財となり現在に受け継がれています。また、昭和53年1月31日には、記録保存を講ずべき神楽として指定を受け、翌年4月には、国の選定の為の記録画作成を開始したのです。その後、平成29年7月2日には、大正6年の伊勢神宮神楽奉納から100年を記念して、再び伊勢神宮にて高鍋神楽を奉納することとなったのです。


高鍋神楽年表

◎奈良時代頃
御前演奏を行い過分の褒美を賜ると伝えられる

◎江戸時代初期 
寛永20年(1643)11月18日
高鍋藩が比木神社で終夜神楽を奏する(神事の始まり)

◎江戸時代
高鍋藩が雨乞、日乞の御祈祷で幾度となく各神社に神楽を奉納させる

◎明治4年(1871)頃
六社連合大神事の始まり

◎大正6年(1917)1月27日
木城、高鍋、上江、川南の4ケ町村の有志者が高鍋神楽保存会を設立

◎同年3月
神楽講習会が開催される(参加者は28名であった)
浦幸次郎、日向高鍋神楽縁起書作成

◎同年3月28日
京都桃山御陵、伊勢神宮に神楽を奉納する

◎昭和30年4月
高鍋神楽保存会を木城町、高鍋町、川南町、都農町の4町で結成。後に新富町が加わり現在の形となる

◎昭和41年10月23日
九州地区民俗芸能大会に出演

◎同年11月19日
第4回宮崎県民俗芸能大会に出演

◎昭和44年4月1日
県の無形文化財として指定を受ける

◎昭和53年1月31日
記録保存を講ずべき神楽として国の指定を受ける

◎昭和54年4月
県指定高鍋神楽縁起書作成
国の選定の為の記録画作成開始

◎平成5年~同27年の間
韓国の百済文化祭大田万博に5回出演(比木神楽系)

◎平成29年2月18日
宮崎県総合博物館敷地内の民家園「椎葉民家」にて六社連合大神事を再現

◎平成29年2月26日
研修会
「各地域の神楽の伝承と
     継承のあり方と違い」開催
開催場所 高鍋町社会福祉協議会
参加者 23名
◆講師 宮崎県民俗学会副会長
     前田博仁 先生

◎平成29年7月2日
伊勢神宮神楽奉納100周年記念事業
奉納場所 伊勢神宮(内宮)能舞台
参加者 神楽奉仕者 13名 関係者 5名
奉納内容 一番神楽(比木神楽)
     大神舞(比木神楽)
     鬼神舞(都農神楽)
     将軍舞(比木神楽)
     振揚舞(都農神楽)
     闢開神楽(比木神楽)
     闢開鬼神舞(比木神楽)
     手力雄舞(比木神楽)
     戸開雄舞(都農神楽)
     神送り神楽(比木神楽)

◎平成30年6月3日
研修会
「県指定から国指定に向けた活動」開催
開催場所 川南町生涯学習センター
参加者 30名
◆講師1 文化庁文化財調査官
     吉田純子 先生
◆講師2 高原町役場税務係長
     大學康宏 先生

◎平成30年11月24日
第67回全国民俗芸能大会出演
開催場所 日本青年館ホール
参加者 神楽奉仕者 14名 関係者 2名
芸能公演 一番神楽(比木神楽)
     鬼神舞(都農神楽)
     伊勢舞(比木神楽)
研究公演 振り揚舞(都農神楽)
     磐石(比木神楽)
     将軍舞(比木神楽)
     寿の舞(比木神楽)
     手力雄舞(比木神楽)

◎平成31年4月1日
国指定に向けた記録作成の為の準備調査開始
都農町・川南町・高鍋町・木城町・新富町

◎令和元年9月7日、8日
東九州神楽人の祭展出演
開催場所 九州国立博物館
参加者 神楽奉仕者 20名 関係者 1名
9月7日 神武神楽(三納代神楽)
9月8日 一番神楽(比木神楽)
    振揚舞(都農神楽)
    獅子舞
    綱取り鬼神舞(比木神楽)
    舞揚(比木神楽)
    鬼神舞(都農神楽)
    手力雄舞(比木神楽)
    神送り神楽(比木神楽)

◎令和2年4月1日
国指定に向けた記録作成調査委員会正式立上げ




県指定無形民俗文化財 高鍋神楽
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